盲目的な恋と友情

 

2019.5.30読了

『盲目的な恋と友情』辻村深月

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タイトルの通り、盲目的な恋と盲目的な友情の2つのパートから成る。

恋パートでは蘭花視点で蘭花と茂美の恋愛が描かれ、

友情パートでは蘭花の親友、留利絵の視点から蘭花達の恋愛が語られる。

 

どちらのパートも蘭花の結婚式から始まり、大学時代を中心に回想、結婚式に戻る構成で、同じ文章を改めて作者に読ませるのだけれど、結婚式のシーンになる度、不穏さが増していく。

それがハレの日である結婚式と対照的で、より不気味というか、不穏というか、違和感が強調されている印象を受けた。

 

恋パート前半の蘭花は共感しすぎてしまい、苦しかった。

好きじゃなければ別れられるのに。別れたくないから受け入れるしかない。 そんな蘭花がとても痛々しかった。

仕事を干されてから茂美は金銭的にも精神的にも蘭花に依存していったけれど、精神的に依存していたのは、むしろ蘭花の方が強かったのではないだろうか。

盲目的な恋をしていた2人は強い共依存の関係であったように感じた。

 

 

恋パートが蘭花と茂美の共依存であるのと対照的に、友情パートは留利絵から蘭花への狂気じみた片依存に感じる。

 

個人的に、留利絵のような人とは絶対に友達になれないと思った。

こんなにも自分勝手で繊細で独善的で傲慢な人と会話なんて、きっとできない。

自分の容姿に強いコンプレックスをもつ留利絵。それは辛い過去によるものだからかわいそうだとは思う。

けれど、彼女のフィルターを通すと事実がねじ曲がる。

留利絵はきっと蘭花に憧れ、美波を羨望していたのだと思う。

しかしそれを素直に認められない。

蘭花の顔にだったらなってもいい。」と思うのが留利絵には精一杯なのかもしれない。

 蘭花に憧れていたから、蘭花に認めて欲しかった。蘭花に必要とされたかった。なんの苦労もせず親友になる美波が憎かった。盲目的に愛される茂美が許せなかった。

私にはそんな風に感じられた。

だからこそ「私に感謝はないのか。」と感じた留利絵が空恐ろしかった。

 

 

ラストシーンは想像をかなり裏切られた。

呆気に取られ、なかなか次の行に進められなかった。

なので、あえて触れない。

結末は是非、自身で味わってほしい。