ナイルパーチの女子会
2019.6.9読了
『ナイルパーチの女子会』柚木麻子
読み進めていくうちに何度も頭を過ぎったのは
「本当に『ナイルパーチの女子会』と『あまからカルテット』は同じ作者(柚木麻子)の作品なのか」ということだった。
それくらいにこの2作品は女友達というものに対するスタンスが異なる。
『あまからカルテット』は学生時代からの仲良し4人組の友情が描かれている。
誰かが問題に直面したら、他の3人が全力でサポートし、解決する。
それぞれが自立しているからこその強固な友情は、ちょっとやそっとのことでは崩れないだろう。
読了後には、自分も友人に会いたくて仕方がなくなる。そんな作品だった。
けれど、『ナイルパーチの女子会』では、ダブルヒロインの栄利子と翔子に女友達は1人もいないところから物語は始まる。
女友達というものを、栄利子も翔子も羨望し、2人とも心のどこかで女友達が居なければならないという強迫観念に支配されているように感じられた。
特に栄利子はわかりやすくその強迫観念に支配されており、だからこそ翔子に執着したのだろう。
そして翔子は、栄利子の執着と支配に脅かされながらも、諦めに似た境地で栄利子に支配されていたのも、女友達がいなくてはならないという強迫観念がそうさせるのではないかと思った。
さて、この作品にはもう1人印象的な女性がいる。
栄利子の会社で派遣として働く真織。
なんとなく真織から、『けむたい後輩』の美里を連想したのであるが、私だけだろうか。
話を戻そう。真織は、栄利子や翔子とは異なり、誰からも好かれるタイプ。もちろん女友達も沢山いる。
むしろ、真織は女友達との友情が第一優先なのである。
「人間の手で湖に放たれなければ、ナイルパーチも一生、自分が凶暴だなんて気づかなかったのにね。」
この作品で1番印象的だった台詞。
この台詞を発する栄利子が、そのままナイルパーチのような凶暴性を見せる。
いや、栄利子だけではない。
翔子も真織もそれぞれの凶暴性を持って、人間関係を壊していく。
この作品で考えさせられるのは、誰しもが栄利子や翔子や真織になりうる可能性があるからだ。
彼女らは人が持つ要素を凝縮させたようなキャラクターであり、だからこそ怖いのだ。
自分を取り巻く生態系を壊さないためには、自分の中の彼女らを飼い慣らして生きていかねばなるまい。
凶暴なナイルパーチにならないように。