クリスマス・ストーリーズ〜一年でいちばん奇跡が起きる日〜

 

2018.12.08読了

『クリスマス・ストーリーズ〜一年でいちばん奇跡が起きる日〜』

朝井リョウ/あさのあつこ/伊坂幸太郎/恩田陸/白河三兎/三浦しをん

 

f:id:citron_plum:20181215013122j:image

 

6人の作家によるクリスマスのアンソロジー

アンソロジーを読むのは初めてだったけれど、色々な作家の短編を楽しめるので1冊で6冊分の満足感があるし、私は同じ作家の作品ばかりを読みがちなので、作家さんの作風を知るにはアンソロジーはうってつけだ。

以下、それぞれの短編の感想を。

※長くなります。

 

 

『逆算』朝井リョウ

 

主人公が同じ年代だったので、まず共感。

わかる。私も毎日そんな感じ。いろんな影も追い抜いた。

高校球児、箱根駅伝のランナー、サザエさんですら私の後ろにいる。

サザエさんを抜いてしまった時、主人公のようにサザエさんが結婚した時、私はなにをしていたか考えずにはいられなかった。サザエさんは結婚して子供もいるのに、私はまだ結婚すらしていないなんて。

 

そして主人公同様、私も母の影を見据えている。母が私を産んだ年齢は追い抜きたくない、抜く時は私も出産していたい。

過去の母には負けたくないという意地。なんなんでしょうね。なぜ朝井リョウは男性なのにここまで女性の心情がわかるのか。

 

そして物語のオチ。このオチがユーモアの中に優しさがあって好きだ。

誕生日へのコンプレックスを解消しつつ、最後の一言で落とす。なんとなく2人の恋を予感させつつ終わるのも、クリスマスらしくてよかった。

 

 

 

『きみに伝えたくて』あさのあつこ

 

冒頭とても不穏な手の描写から始まる。

読者にその翔也の手の映像をしっかり見せつけてから、寧々と翔也の初々しい恋について描かれていく。

初々しいからこそ些細なことで不安になり、詮無いことですれ違い、そして犠牲になった翔也

物語中盤までホラーのような空気感を漂わせながら物語は進んでいくが、最後はほっこりとまとめあげる。

冒頭の不穏な始まり方からは、想像できない穏やかな空気を作り出すのは流石。

 

 

 

『一人では無理がある』伊坂幸太郎

 

こちらも冒頭不穏な空気から始まる。

衿子のもとに娘から深夜の電話。

ストーカーが凶器をもって家に押しかけてくると。警察に電話させるため、一旦電話を切った数分後娘から「無事。やっつけた。」と。

 

謎を残したまま、舞台は企業の会議のような場面に切り替わる。

発注ミスが多い松田を中心に物語は進んでいく。松田はありえないようなミスをしでかすが、毎度何故か当日まで気づかない。いや、気づいても見て見ぬふりをする。

松田は「結果オーライの申し子」だから。

今年もやはり松田はミスをしたが、結果オーライ。

 

そして場面は冒頭に戻る。

娘がストーカーをやっつけた場面。

どうして娘はストーカーをやっつけられたのか。それは松田がミスをしたから。

 

松田のこれ以上ない結果オーライの才能で、これからも救われる人がいるのではないだろうか。

ほっこりしつつも、くすっと思わず笑ってしまうような作品。

 

 

 

『柊と太陽』恩田陸

 

舞台設定は『再鎖国(だめまた)』後の日本。

軍事警戒中なのか国境を見張っているのか、徴兵されているらしいハセベとヨシダの会話で物語は進行していく。

どうやら再鎖国したため、クリスマス文化は消失してしまっているらしい。

代わりに冬至祭というものがあり、三田というなまはげのような赤い鬼が子供を殴って縁起を担いでいるらしい。

 

西洋文化の書物は国に処分されてしまっているのか、クリスマスへの考察は近いようで、存分に勘違いも含んでおり大変おもしろい。

現在なされている学術研究等も、当時の人間からしたら、近いようで、あさっての方向に解釈されていると感じるのだろう。

 

そして物語は冬至祭特有の挨拶で締めくくられる。

「滅理、来衆益し(めり、くるしゅまし)」

 

 

 

『子の心、サンタ知らず』白河三兎

 

ラストを読んで、タイトルに納得。

 

舞台であるリサイクルショップの息子、匡はクリスマスのプレゼントをリサイクルショップで購入することになっている。予算内であればいくつでもおもちゃを買うことが許されている。

しかし、匡はクリスマスにファミレスで豪遊するため、アルバイト店員である太志に共犯になるよう話を持ちかける。

この計画がかなり綿密。子供とは自分の執念の為には大人を越えるような知恵を思いつくものだと感心する。

 

だがラスト。

ラストで匡の子供らしいというか、可愛らしいというか、どんなにまわりから「クソガキ」といわれる匡でも、こんな一面もあるのだと知ると、とても愛おしい。

中盤まで匡はかなり生意気に描かれていたので、どうにか太志が共犯にならぬよう祈りながら読み進めたのだが、読了後は匡の思惑通りに事が運んでくれることを祈らずにはいられなくなってしまう。

 

 

 

『荒野の果てに』三浦しをん

 

アンソロジー最後の作品は時代物。

いや、タイムスリップもの。

江戸時代から現代にタイムスリップしてしまった卯之助と弥五郎。そしてその2人を拾った里絵。

卯之助と弥五郎の時代に禁止されていたキリスト教。しかし、現代はキリスト教の祭りであるクリスマスを皆が祝う。

それは弥五郎がれ望んだ「だれでも、なんでも、信じても信じなくてもいい世界」だった。

 

弥五郎は切支丹だ。

そしてその嫌疑のため、武士である卯之助は弥五郎を尋問しなければならなかった。

それを卯之助が望んでいないとしても、下級武士では、お上の命からは逃れられない。

2人がタイムスリップしたのはその尋問中だった。

「だれでも、なんでも、信じても信じなくてもいい世界」を見た2人が江戸に戻って、どう生きていくのか、スマホに飛脚が到着するのを待つとしよう。